ネット上には「〇〇構文」という文化が存在する。

そういえば「構文」の意味を知らないまま、〇〇構文だけ使っていたことに気づいた。

よってAIに「構文とは何か」と尋ねてみたが「文脈によってさまざまな意味を持つため、具体的にどのような場面でこの言葉が使われているか教えていただけると、より詳しい説明ができます。」とさらなる情報を求められたため、結局わからず終いで今に至る。

やはりAIが人間の愚かさに追いつくまでにはまだ時間がかかりそうだ、が「進次郎」や「石丸」などの追加情報をAIに与えなかった私の判断力は評価してほしい。

力こそパワーは進次郎じゃないから

「構文」の正確な意味はわからなかったが、ネット上では主に、特徴的な言い回しの定型文として使われている印象だ。

漫画家が良く使う定型文と言えば「〇〇が✕✕した話」だ。この構文を用いて自身の作品をSNSなどに投稿すると、作品タイトルで投稿するより格段に拡散されやすくなるので作家の間では重宝されているのだが、有用だから使われているのはわずかで大体はネタとして使われている。

構文ネタは使い勝手がよく、瞬く間に広がりやすいため、今ではネットに出回っている進次郎構文の99%は進次郎が言ったものではないとさえ言われている。

何かの人気が出ると贋作が大量に出回り本物が見つけづらくなるというのは、どこでも起こり得る流行の弊害だ。

また、広まりすぎたせいで「つまらない人がつまらないことを言い出すんですよ」という、進次郎構文に見せかけたただの嫌な現象が起こることにより、ネットミームは急速に廃れていくのだ。

そんな中今汎用性が高いと注目されている構文がある。

それが「〇〇は9割甘え構文」だ。

  • 9割は甘えとか5割は税金とか、そりゃ言われたらキレちゃいますよ

    9割は甘えとか5割は税金とか、そりゃ言われたらキレちゃいますよ

非常にシンプルな構文であり、ありとあらゆる他人の苦労話に対し「〇〇とか言っている奴の9割は甘え」と付け加えるだけでいい。

こうすることにより〇〇に該当する方から大量の猛抗議をいただくことができるので、最近生活に刺激と暖が足りないという人は試してみるといい。

冷笑派を気取るなら覚えたい「9割甘え構文」

しかし「〇〇」に入る言葉は何でもいいというわけではない。

「40歳過ぎてお母さんにお小遣いをもらうのは甘え」など、「確かに甘えているかもしれない」と半数ぐらいが同意してしまいそうなことを言ってもダメだ。

お母さんにお小遣いをもらっている40歳以上の半数が猛抗議をしてきても十分アツいとは思うが、9割構文を使うならこちらも9割は怒らせる覚悟で向かうべきである。

まず9割構文を使うなら、経験がない上に、それに対して全く知識がないことについて言及すべきである。

ハゲの人に「ハゲの9割は甘え」と言われたら、本人がそう言っているんだからそうかもしれない、と思ってしまう。

これも当事者が言うことによりハゲは甘えというデマが広まってしまうという意味で批難は避けられないだろうが、「少なくとも俺は甘えたからハゲた」と己の実体験を元に語られると「それでも9割は言いすぎ、どちらかというとお前は1割側」としかいえなくなる。

そうではなく、自身にその経験がなく、周囲に当事者もおらず、知識もないのに「うつの9割は甘え」などの適当なことを言うことで、9割構文は真価を発揮するのである。

「〇〇は甘え」という言い回しは昔からあるのだが、断言を避け1割の例外という逃げ道を用意しているところも小賢しくてポイントが高い。

ね、簡単でしょ? と言いながら油絵を描く感じで

最近SNSで、この構文を用いた「地方暮らしは車がないと生活できないは9割甘え・自転車があればなんとかなる」という意見が注目を集めた。

見たところ地方暮らしの9割を怒らせることに成功していたので、9割構文としてかなり完成度が高い。

この文章の秀逸な点は頑張ればできなくもない、ギリギリのラインに打ち込んできているという点である。これが「呼吸しないと生きていけないは9割は甘え」だったら無視されるだけなのだ。

確かに田舎でも場所によっては車を持たず、自転車で生活することはできなくもない。しかしそこには凄まじい苦労と不便が存在する。

その苦労を「甘え」と表現し、がんばればできなくもないという事実から「がんばらない奴が悪い」という方向へ持っていく手腕は見事という他ない。

しかし、この発言が田舎暮らしの実態を知らない都会者が適当に言ったことならまだましであり、真の害悪になりかねないのは、本当に頑張って自転車で生活している田舎の民が言っている場合だ。

それができていること自体はすごいのだが、それを普通のことのように言われると、また現状を知らない人間から「できている奴がいないのに何故お前はできないのか」と言われてしまう。

結局苦労は人ぞれぞれであり、それを理解できるのは本人だけだ。

わからないことには口を出さない、そして他人の「辛い」という話に対し、「俺はツラくないけどね」と、突然自分の話を始めるという行為は慎んでいかなければならない。