5月7日の午前9時、私は望遠鏡をかついで某所に来ていた。
別に見えないものを見ようとしたわけではない、それは肉眼でいつも見えている。
駆けつけたのはXのトレンド欄、そして見ようとしたのは「退職代行」または「モームリ」の文字である。
GW明けに君が来た! Oh yeah ah!
5月7日のGW(ガッデムウイーク)明け、今年も退職代行使用の退職者が続出するはずなので、それを「ようこそこちら側へ」と出迎える予定だったのだ。
しかし結論から言うと今年は「不漁の年」である。おそらく退職者は一定数いただろうが、1日中トレンドに退職代行が挙がるほどではなかった。
今年の新卒は活きが悪いと思ったが、逆に活きが良すぎて4月の段階で辞める奴は辞め終わっていたという可能性もある。だとしたら若者が元気を取り戻していて何よりだ。
退職代行を用いることで、会社を昔よりは簡単に辞められるようになった。
私は新卒で入った会社を8か月で「お母さん同伴」で辞めた人間である。
この話は各所で散々しており聞き飽きている人も多いと思うが、それだけ消えない記憶であり20年経っても膿っぱなしの傷なのだ。
当時このサービスがあれば、私自身、何よりお母さんに嫌な経験をさせずに済んだと思うと今の若者が羨ましい。ただ依頼費用の数万はお母さんに借りたかもしれない。
若者がそんな化膿疹を作らなくてもよくなったのは良いことなのだが、もしかしたら「退職代行を使って退職した」ことが傷となりグズグズになってしまう人もいるのかもしれない。
確かに、自分で伝えるべき自分のことを他人に任せて去るというのは逃げであり「甘え」なのかもしれない。
これってもうフリーランスじゃないかね?
最近の子供や若者は甘えているし、それを大人や世間が甘やかしているから、仕事は長続きしないし、学校に行かない子どもも増えている、という話をよく聞く。
確かに、世間が言うところの「甘え」や「甘やかし」の結果、本人が自立困難となり、そのような人間が増えることで国民全体の負担が増えるというなら問題である。
しかし、甘えに甘えているが個人の自活できているし国の生産性も下がっていないという「結果」が変わらないのであれば、過程は楽で甘いに越したことはないだろう。
むしろ「持続性」という意味では、甘い環境の方が長続きするに決まっている。
もはや人間如きの頑張りに期待している社会や企業の考えの方が「甘い」と言っていいのかもしれない。
そんなわけでついに日本にも「無断欠勤OK」「やりたくない仕事はしなくていい」という会社が登場したそうだ。
高度経済成長を支えた企業戦士たちが聞いたら体中の穴からリゲイソを噴き出して憤死しそうな方針だが、この方針でこの会社は業績がアップしているそうである。
社員は甘い環境で働け、企業は業績をアップしているとするなら、甘くて悪い理由などどこにもないのだ。
この会社は大阪のとある水産加工会社だそうだが、そんなルールだと誰も出社しなくなり、経営が立ち行かなくなりそうな気がするが、一応無法地帯というわけではなく「2週間で20時間勤務」という義務はあり、それで最低生産量は確保できているらしい。
このやり方はフリーランスに似ている。
「納品日に納品」する、という結果だけが変わらなければ、その過程は本人の自由で、7日かけてコツコツやってもいいし、最終日に部屋にトラを放し飼いして急いでやってもいいのである。
もちろん開始時間も決まっていないし、突然「今日は休み」にすることもある。その甘い環境のために社会保険厚生年金なしの渋い立場になっているのだが、それらの保障ありで働き方も甘いとなれば、この会社を辞める理由がない。
意外に一億総活躍社会ってこんなものなのかも
現在どこの会社も「人手不足」であり、人員の確保には苦労している。
つまり社員が働きやすい環境にし離職率を下げることが最大のコストカットとなり、社員がストレスを抱えないことで社内の空気も良くなり、生産量もアップしているということだ。
ただ、オフィス系の仕事だと「やりたくないことはやらなくていいシステム」により「誰も電話を取らない会社」になることは明白なので、今回のこの水産加工会社が工場系だからできることだとは思うが、働ける人間を増やし、離職率を下げるために、職場環境を甘くするという考えはもっと浸透した方がいいだろう。
ちなみにやりたくない仕事に「あいさつ」を挙げて、あいさつスキップしている社員もいるらしい。
あいさつしないのはコンドームをしないのと一緒であり、そんな中田氏(仮名)を受け入れるコミュニティというのはなかなかない。
逆に言えば、あいさつさえスキップできればバリバリ働けるかもしれない人材が、あいさつができないという一点だけで就労不能になっているというのももったいない。
もう人間に一定の社会水準をクリアさせようとする時代は終わったし、そんなことを言っている場合ではない。これからは水準の方がこちらまで下がって来る時代である。