
「日本でしっかり地盤を固めた上で、デジタルインフラを世界に広げていきたい」─ミライロ社長の垣内氏はこう意気込む。2025年3月に上場したミライロ。
手掛けているデジタル障害者手帳「ミライロID」の知名度向上の機会につなげ、さらに世界に打ち出すことを目指す。26年7月、障害者法定雇用率の引き上げに向け、企業との対話も進めていく考えを示す。
「共感」も大きな資本
─ 2025年3月に東証グロース市場に上場しましたね。2010年の創業から15年ですが、思いを聞かせて下さい。
垣内 この15年間、本当に多くの方に支えていただいて、ここまで辿り着くことができました。もちろん、ここからがスタートなのですが、まずは皆さんのおかげで1つの地点に立つ姿をお見せできてよかったと感じています。
─ 上場日には初値が付きませんでしたね。
垣内 私たちも想定外でしたが、上場初日に初値が付かなかったのは1年半ぶりのことだったそうです。翌日、翌々日はストップ高となるなど期待値が高かったようで、皆さん喜んで下さいました。
ありがたかったのは、障害のあるお子さんのお父さん、お母さんなどがSNSを通じてご連絡を下さったことです。
中には当社の株式をご購入下さった方、我々が手掛けているデジタル障害者手帳「ミライロID」をご利用されている方もおられ、改めて多くの方に応援していただいていることを実感しました。
─ ミライロ共同創業者で副社長の民野剛郎さんは、上場にあたってどんな思いを抱きましたか。
民野 まず、垣内と一緒に上場の鐘を鳴らすことを想像しながらやってきましたので、非常に感慨深いものがありました。そして垣内と同様、私も応援して下さる方々からの思いを感じながら仕事をしてきました。
私は当社で事業のとりまとめやコーポレート側を担ってきましたが、例えば今回、個人の株主の方々が一気に増えました。それ以前には21年から法人の方々に第三者割当増資という形で出資いただいてきましたから、そうした方々からの期待に応える責任があると感じています。
従業員も、様々な思いを持って当社に入ってくれています。彼らにも喜んでもらえたことは嬉しかったですね。
民野剛郎・ミライロ副社長
─ 垣内さんと民野さんはお互いに補い合いながら事業を進めてきたのではないかと思うのですが。
垣内 ミライロにとって、今回株主の皆様から託していただいた資本も大きいのですが、「共感」も大きな資本だと思うんです。その共感を募るためにも伝えていくことが大事で、私はそのためにも伝え方を磨いていこうと取り組んでいます。
印象的だったのが、私が10年近く前にボイスレッスンに通い始めたことを伝えたら、民野も通い始めたことです。
私が外に伝え、民野が内を守るという役割分担はありつつも、お互いに磨き合い、高め合ってきたことは、当社にとって非常に大きいのではないかと思います。
─ これまでミライロは障害を価値に変える「バリアバリュー」という価値観の浸透を図ってきました。上場にあたって、改めて思いを聞かせて下さい。
垣内 「バリアバリュー」は障害のある方々だけに限ったことではないという形で再定義してくれたのが民野でした。それぞれの個人の価値、可能性を最大化していくことがバリアバリューなのだと。
障害者だけに限ると狭義になってしまいますから、なかなか広がりづらいですし、人ごとになりかねません。誰しもが何かトラウマやコンプレックス、マイナスの感情を抱えています。
でも、そこからマイナスをプラスに変えていく、新しい価値に変えていくことをミライロが体現すると考えて、これまで進めてきました。
私自身、車椅子に乗っている視点があるからこそ伝えられること、できることがあるだろうと。それを私だけのものにするのではなく、より一般的に、広く置き換えていこうと、民野が組織の設計、会社の基盤を築いてくれた。
だからからこそ、この15年、持続的な成長を果たすことができたのではないかと考えています。
民野 垣内という象徴的な、バリアバリューを実践している存在がいるからこそ、当事者やそのご家族など、そこに共感する方々が増えてきました。それは垣内のメッセージ性、バリアバリューという言葉の響きが共感を集めているのだと思います。
「大阪・関西万博」のレガシーを次につなげる
─ 日本には今、人口の9・3%の障害者がいる中、上場を機に取り組みたいことは?
垣内 今回の上場で、初めて「ミライロID」を知ったという自治体も多いんです。これまで関東、関西を中心に多くの自治体に広がってきていましたが、全国展開という意味では道半ばでした。
上場を機に、皆さんに知っていただく機会が増えました。また、「ミライロID」を活用して障害者との向き合い方を、より円滑にしていこうという機運が高まっています。これは私たちとしてもありがたいですし、この流れを無駄にしないよう、さらに大きなムーブメントにしていかなければいけないと考えています。
─ 国内外から多くの来場者がいる大阪・関西万博は障害者対応という観点でも重要なイベントだと思いますが、ミライロの関わり方は?
民野 いくつかありますが、1つは「ミライロID」が障害者手帳と同様の確認書類として採用されています。
また、遠隔の手話通訳のサービスでも協力させていただいています。万博で得られた好事例、課題などをきちんと収集して、そのレガシーを次につなげていきたいと思います。
垣内 前回の大阪万博では「点字ブロック」の普及が進み、それから50年以上の歳月が経ちました。超高齢社会となったバリアフリー先進国の日本においては、障害者手帳の電子化や遠隔手話通訳サービスこそが、今の時代の新たな取り組みと言えるでしょう。
その一端を当社がいただけることは大変ありがたいことですし、開催期間の中でも新しいものをしっかり見出して、次のビジネスを広げていけるといいなと思っています。
─ この15年間で嬉しかったことは何ですか。
垣内 3月24日の上場日はやはり嬉しかったですね。私は鐘の高さに手が届かなかったので、介助者に叩いてもらって下さいと言われていたのですが、最終的には、スロープ付きの台をつくっていただくことができました。
今後、東京証券取引所でも恒久的に保管されるとお聞きしていますから、車椅子ユーザーの経営者、ご高齢の経営者が2人、3人と続いてくれるといいなと思っています。
私の両親や弟、民野の家族を始め、みんな勢揃いで来てくれましたから、本当に幸せな時間でしたね。
「ミライロID」を世界に広げる取り組みを
─ 米トランプ政権の動向で世界が揺れる激動の時代の上場ですが、現状をどう見ますか。
垣内 相互関税などに関しては90日延長などを見ていると諸外国に対する牽制の意味もあったと思います。
特に米国ではDEI(多様性・公平性・包括性)に関する取り組みを特急列車のごとく進めてきましたから、「反DEI」というかたちでその揺り戻しが起きることは必然でした。
訴訟大国でもある米国では、何か1つの事象を逆手にとって、訴訟、係争、賠償にまで発展した事象も多々あったのです。それだけに、企業に寄り添った対応を取ろうとすれば、一定の揺り戻しは止むを得なかったのだと思います。
米国は超特急から急行になり、日本はようやく鈍行から急行になろうとしている段階ですから、いずれにしても世界的な潮流としては今後も進むと見ています。
─ 今、起きている事象だけにとらわれるのではなく、多角的な視点が必要だと。
垣内 そう思います。企業側の視点に立って見ると、納得できる部分もありますから、一様に批判的、悲観的に見る必要はないのだと思います。
もちろん、トランプ大統領の言動や行動は、多くの面でサプライズが過ぎる部分もあると思いますが、冷静に分析すると理解できることもある。その意味で一喜一憂せず、フラットな視点で、流されずに進めていくことが重要だろうと思っています。
今回、トランプ大統領が示したように、障害者やLGBTQ+の方々だけに過度に配慮したり、企業にだけ過度に配慮するとなると、どうしても揺り戻しが起きます。
きちんと、どちらに対しても一定の配慮をする、時にはお互いに我慢をすることも必要かもしれませんし、歩み寄ることが必要です。
ゼロでもなければ過剰でもないというのは、当社が目指している点です。障害者の視点に立ちながらも、企業の視点にも立つ。「架け橋」となって、ビジネスとして取り組むことが持続性につながります。
アドボカシー(擁護・代弁)でもなければ、人権運動でもない。きちんとお互いに利益を得て、新しい未来をつくるために歩むことが重要です。
世界でつながっていくことは間違いなく実現可能だと思いますから、それを日本から発信していくことが、我々の社会的使命だと思います。日本で培われてきたものを世界に出していくことが、今後我々が取り組むべきことだろうと思います。
─ 具体的な取り組みとしてはどういうものがありますか。
垣内 各国に障害者手帳がありますが、一部のアジアの地域やアフリカなどでは、制度が十分ではない国もあります。そうした国々で障害者の身分証、福祉制度の円滑な提供のために、ミライロIDを世界に広げていかなければなりません。
ただ、当然日本でやるべきことも多々ありますから、まずは日本でしっかり地盤を固めた上で、デジタルインフラを世界に広げていくというのが、私がやりたいと考えていることです。
大阪・関西万博や、聴覚障害のある方のスポーツの祭典「デフリンピック」の開催も11月に控えるなど、政府としてもできることは何なのかという議論が盛んになってきています。
法定雇用率引き上げに向けて必要なことは?
─ 一方で、懸念をしていることは?
垣内 懸念があるとすれば、26年7月から企業の障害者雇用の法定雇用率が2・5%から2・7%に引き上げられることです。多くの企業が採りたくても採れないということで苦しんでいます。
なぜ採れないかと言えば、障害のある方々の就学の機会が十分ではないことが挙げられます。もちろん、企業は学歴だけで人材を選んでいるわけではありませんが、採りたい人材が十分にいるかというと必ずしもそうではありません。
その意味で今後、小学校、中学校、高校、大学で障害者の受け入れ体制の強化を進めることが大事です。企業に障害者雇用を進めて欲しいと言うだけでは状況は変わりません。社会全体で取り組むべき問題です。
違反すると罰金や企業名の公表といった罰則がついていますが、実現に向けては企業の負担が大きいですから、その前段階についても議論が必要です。
─ 現実を踏まえた議論が必要だということですね。
垣内 ええ。法定雇用率の表層的な部分だけにとらわれると数合わせだけになってしまう。それでは遠隔の農業地で働かせたり、障害者と健常者を分けて働かせるようなことが、今後も続いてしまいます。
国連から勧告を受けた数年前から、障害者と健常者を分ける分離教育はあるまじきことだとして、インクルーシブ教育に変わってきています。以前は教育が分かれていたので、障害者と健常者を分けて働かせることがまかり通っていました。
しかし今は、多くの企業が実際に取り組みを始めています。この好事例が広がっていけば、いずれ「障害者と健常者を分けて働かせていた時代もあったね」という未来も近づいてくるのではないかと。
そうした未来を我々も描き、伝え、皆さんに共感をお寄せいただけるのであれば広げていきたいと思います。